子規の『野球』エピソード
今回も新部です。
「子規って何した人?」と聞かれたとき、大半の人が「ホラ、あの柿食ったら法隆寺のカネがゴーン、のヒト」と答えることでしょう。
もうちょっと詳しい人は『ホトトギス』とか『アララギ』とかそういった同人誌名を出すかもしれません。
で、雑学好きな人だったら、「日本に野球を持ってきた人」、あるいは「ベースボールの訳語として『野球』を考案した人」と答えるかもしれませんが、これは間違い。
まず、日本に「ベースボール」を輸入したのは、アメリカ人の教師ホーレス・ウィルソンという人。で、ベースボールに「野球」という翻訳を当てたのは、中馬庚という人。
じゃあ、子規は何をしたのか、というと、一応野球用語の多くを翻訳した、という功績はありますが、もっとインパクトの強いエピソードを持っているのです。
それは、「日本で初めて『野球』という文字列を使った人物」というものです。
ん? 『野球』は中馬庚じゃないの、と思った皆様。いい反応です。一体どういうコトなのか説明しましょう。
衝撃の事実ですが、子規が用いた『野球』は『やきゅう』とは読まないのです。
では、どう読むのか。ちょっと考えてみましょう。
子規の本名は「升」とかいて「のぼる」と言います。これを「野球」と並べてみましょう。
「野球」「のぼる」
見えてきましたか?
「野球」「の ぼる」
だんだん察しがついたでしょう。
「野球」「の ぼーる」
もうわかりましたね。
実は子規、ベースボールが好きすぎて、無理やり「球」を「ボール」と読ませることで「のぼーる」、漢字にすると「野球」という訳の分からん雅号を使っていた時期があったんです。はっきり言ってみうらじゅんが昔やってた「変読」の世界です(「梅宮辰夫」を「ばいきゅうとらお」、「尾崎豊」を「おざきトヨ」、「古舘伊知郎」を「こかんいぢろう」と読んでしまう、アレです)。
ただ、この変読的な雅号というのは結構あって、「墨汁一滴」に登場する人物でも本名をモジった人がいます。例えば高浜虚子は「清(きよし)」、河東碧梧桐は「秉五郎(へいごろう)」、竹村黄塔は「鍛(きたう)」です。
それを考えれば「野球(のぼーる)」も自然…な訳ないワ。
と、今日まで3日連続で私、新部良仁が当ブログに関する説明や、正岡子規、つまり「Nobo-San」に関する雑学を紹介してまいりましたが、今回からしばらくこのブログは休眠状態に入ります。
で、次の再開はというと、2023年1月16日の予定です。で、この日から「Nobo-San」がメインで記事を書いていきますよ。
それではまたしばらく。