七草のかご
1月7日の会に
長い取手をつけた小さくて浅い竹かごに、木の葉みたいなのを敷いて、土を盛って、七草をちょっとずつ植えたもの。で、ひと草ごとに3,4寸くらいの小さな立札が添えられている。
正面の「
その左の「五行」は、葉が厚く細長くて、やや白みがかっている。これは春になると黄色い花が咲くそうな。これらは全部まだ1寸にも満たない。
その後ろに植わっているのには、「
真ん中の「鈴白」の札があるのは葉が5,6寸くらいの赤カブで、半ば土の上に出ている根は、目が覚めるほどに紅い。『源語』や『枕草子』的な、いわゆる「エモさ」を感じる。
あら玉の年のはじめの七くさを籠に植ゑて来し病めるわがため
1901/01/17
この文章、本当に悩んだ。
あの「文豪」に「エモい」という単語を使わせるか否か。絶対叩かれるでしょ。
でも、もともとは「…『枕草子』的なオモムキを感じる」としてたんだけど、やっぱりライトな文体にするんなら、「趣」ってナニよ!? ってなわけで、そうなると、「趣」の定義って、「なんか表現しがたいけど、イイな、っていう感じ」とか「感情を揺り動かされる感じ」ってところに帰納するんではないか、って思ったワケで...。
「エモい」って言われるとなんかカル過ぎる気もするけど、でも「趣」とか「侘び寂」って、やっぱり説明不能な微妙な感情を呼び起こすもの、ってニュアンスだから、じゃあ、「エモい」でいいじゃん、としました。
「旨味」という味覚の概念を持たない欧米人にそれを説明するときに、「深み」とか「風味」っていうより、味の素なめさせて、「これ入れたら、大体ウマくなるから!」って言ったほうが早いのと一緒...なのか?
言語表現というより、フィーリングを優先した結果ですが、食レポで「なんかめっちゃいい食材に、めっちゃうまいヤツはいってるから、結果ウマい」って言ってるような、私は何を言ってるんでしょう。