Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

馬琴の苦労


 筆を執るのが不自由になったら、だれか代わりに書いてくれないかな、と常々思っていたところであるが、この前、馬琴八犬伝のある巻に付記した文章を読んだ。
 最初に自身が失明していること、原稿書くのが大変であることを述べて、

 

…文渓堂また貸本屋などいふ者さへ聞知りて皆うれはしく思はぬはなく、ために代写すべき人をたずぬるに意にかなふさる者のあるべくもあらず…云々

 

 とあるのを見れば、当時の馬琴ほどの名望地位をもってしても、代筆してくれる人を探すのは、なかなかに難しかったようだ。
 そしてその次に

 

…吾孫興邦はなほ乳臭ちのか机心つくえごころ失せず。かつ武芸を好める本性なれば恁る幇助になるべくもあらず。他が母は人並ににじり書もすれば教へて代写させばやとやうやうに思ひかへしつ、第百七十七回の中音音おとね大茂林浜おおもりはま にて再生の段より代筆させて一字ごとに字を教へ一句ごとに仮名使かなづかいおしゆるに、婦人は普通の俗字だも知るは稀にて漢字からもじ雅言を知らず仮名使てにをはだにも弁へずへんつくりすらこころ得ざるに、ただ言語ことばをのみもて教へてかかするわが苦心はいふべうもあらず。まいて教を承けて写く者は夢路を辿る心地して困じて果はうち泣くめり…云々


 
 などと書いている。この文は、昔読んだときは「この人も大変ネ」と思った程度だったが、今となってはいちいち身に染みて、リアリティがある。
 しかし、このころの馬琴は歳を重ねて、成功し、今まさに『八犬伝』の完結を急ぎつつあるところであった。

 つーことは、いまだにプロローグすらも十分に書かずに、エピローグへと向かいつつある我が身と、一緒にしてはならんのだろうけど...。

 

(1901/02/02)