Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

渾沌

わずかに出た南京豆の芽が、豆をかぶったままで鉢の中に5つほど並んでいる。 ――渾沌。 (1901/05/31) 「渾沌」ってのは、中国神話に登場する化け物で、ノッペラボーのこと。あるいはなんだかハムの塊みてえな胴体に6本の足と4つの翼をつけたバケモノの姿で描…

東京人の知らぬこと

東京に生まれた女で、40歳にもなって浅草の観音様を知らないというヒトがいる。 嵐雪の句に 五十にて四谷を見たり花の春 というのがあるから、嵐雪も五十ではじめて四谷を見たのかもしれない。 これも40くらいになる東京の女だが、私がタケノコの話をしたら…

東京人の生き方

(前回の続き) その先生によると、田舎の子供は男女に限らず歌唱とか体操という授業を嫌がる傾向にあるのに対して、東京の子はそういったものを好むようである、という事であった。 これらも実に都会と田舎の特色を現わしている。東京の子は活発でおてんばで…

都会っ子の特徴

今、東京の小学校で子供を教えている人の話によると…。 東京の子は田舎のに比べると見識の広いこ事は非常に素晴らしいのだが、何をやらせても田舎の子よりも鈍くて不器用である。例えば半紙で帳面を綴じさせてみたら、高等科の生徒であってもほとんど満足に…

タンポに燗?

羽後能代(うごのしろ)の方公(ほうこう)が手紙をよこして、その中でこう言っている。 御著『俳諧大要』に言水(ごんすい)の 姨(うば)捨てん湯婆(たんぽ)に燗(かん)せ星月夜 の句につきて「湯婆に燗せとは果して何のためにするにや」云々と有之(こ…

未来の日本語

『近古名流手蹟』をみると、昔の人はみんな難しい手紙を書いたもので、今の人には大分読みにくいが、これは時代の変遷で自然とこうなったものであろう。 今の人の手紙でも、2、300年後に『古今名流手蹟』となって出た時には、その時の人は難しがって、よく読…

『春夏秋冬』について③

私は『春夏秋冬』を編むにあたり、四季の題を四季に分類するのに困難した。それは、陽暦を用いる地方(または家)と陰暦を用いる地方(または家)と両方あってそのために季節の相違が生じることが多かったからである。 例えば... 春┌灌仏(かんぶつ) 春┌新年 └…

寝ながら立ち聞き

病床に寝て一人で聞いていると、垣の外のよその奥さんの立ち話が面白い。 「――あなたネ、提灯を借りたら新しい蝋燭を付けて返すのが当たり前ですネ、それをあなた、前の蝋燭も取ってしまう人がありますのヨ、同じことですけどネ、そういったようなことがネ..…

ロンドンの日本人

漱石がロンドンの場末の下宿屋にくすぶっていると、下宿屋のカミサンが、「お前”トンネル“という字を知っているか」だの「”ストロー(藁)“という字を知っているか」などと問われるので、さすがの文学士も返答に困るそうだ。 このごろベルリンの灌仏会に滔々と…

魚心あれば...

遠洋に乗り出してクジラの群れを追い回すのは壮快に感じられるが、佃島で白魚船がかがり火を焚いている景色などはとても美しく感じられる。 太公望のように百本杭で鯉を釣っているのも面白いが、小さな子供が破れたザルをもってシジミを掘っているのも面白い…

小説・地獄奇譚

私は閻魔大王の構えているテーブルの前に立って、 「お願いでござます」 と言うと、閻魔は耳をつんざく様な声で 「何だ」 と答えた。 そこで私は、根岸の病人のナニガシであるが、もうすぐ御庁からのお迎えが来るだろうと待っていても、一向に来ないのはどう…

青年老いやすく...

痛むわけじゃないし、かといって痛まないわけでもない。 雨がしとしと降っていて、枕辺には客もいない。 古い雑誌を出して、星野博士の「守護地頭考」を読む。10年来の疑問が一気に解けるうれしさ。 冥途の土産が一つ増えた。 (1901/05/20)

『春夏秋冬』について②

『春夏秋冬』 凡例 『春夏秋冬』は明治30年以降の俳句を集め、四季で4冊とする。 各季節の題目は、時候、人事、天文、地理、動物、植物、の順序に従う。「時候」は、立春、暮春、余寒、暖、麗、長閑、日永...といったものを言う。「人事」は、初午、二日灸、…

『春夏秋冬』について①

『春夏秋冬』 序 『春夏秋冬』は明治の俳句を集めて四季に分類し、更に四季の各題目よって編んだひとつの小冊子である。 『春夏秋冬』は俳句の時代において『新俳句』に次ぐものである。『新俳句』は明治30年に上原三川(さんせん)の委託により、私が選抜し…

石竹に哀願

痛くて痛くてたまらないとき、14,5年前に見た吾妻村あたりの植木屋の石竹畠を思い出してみた。 (1901/05/17)

祭りと傷跡

今日は朝から太鼓がどんどんと鳴っている。根岸のお祭りなんである。 お祭りというとすぐに子供の時を思い出すが、私がまだ10歳か11歳くらいのことだったろう、田舎に住み続けていた叔父のところにお祭りで招かれていくときに、私はいつも懐剣をさしていた。…

去来したこと

5月はイヤな月である。この2,3日はますます5月らしくなってきて、不快でたまらない。頭モヤモヤで考えが少しもまとまらない。 夢の中では今でも平気で歩いている。しかし物を飛び越えなければならないとなると、いつでも首を傾ける。 この頃の天気予報がビ…

杉と松と

松の若緑は1尺もあろうと思われるものが、ズンズンと上へまっすぐに伸びていく。杉の新芽は小さいのがいくつか出ても皆、下へぶら下がってしまう。それでも丈比べをしたら、到底松は杉には及ばない。 (1901/05/14)

つかれ

今日は休む。ただし、草稿32字余りが手元にある。 (1901/05/13)

病床の1日

5月10日、昨夜の睡眠は不安定。いつも通り。 朝5時に家人を呼び起こして、雨戸をあけさせる。大雨。病室の寒暖計は華氏62度(セ氏16.6度)。昨日は朝から引き続いて来客があり、それが夜寝る前まで続いたため、「墨汁一滴」を書くことができなかった。なので、…

鳴かない時鳥

根岸に移ってこのかた、特に病気になって臥せってからこのかた、年々春の暮れから夏にかけて、ホトトギスというものの声をしばしば聞いた。なので、今年はどうかというと、立夏も過ぎたがまだやってこない。 なので、剥製のホトトギスに向かって、思うところ…

月並派には使いこなせない言葉

ある人曰く、『宝船』の第2号に、 やはらかに風が引手の柳かな 鬼史(きし) 銭金を湯水につかふ桜かな 月兎(げっと) の2句があるが、これって月並調じゃないの、と。 答え:月並調ではない。 柳の句は俗っぽい言葉を使っているから月並のように見えるが、…

臼歯に一生を...

今になって気づいたことがある。 これまで横になりっぱなしだったにもかかわらず、その割に多くの食べ物を消化できたのは、咀嚼の力がかなりの役割を果たしてくれた。 噛んでは噛みまくって、これ以上ないくらいに柔らかくして、お粥の米さえも噛めるだけは…

月並の味付け

碧梧桐曰く、 手料理の大きなる皿や洗ひ鯉(ごい) の句には理屈めいた言い回しもないのに、どうして月並調なのか、と。 私はこう答えた。 「月並調」というのは理屈めいた言い回しだけを言うのではない。この句の「手料理」も「大きなる皿」も共に俗である…

端午の節句の柏餅

5月5日には柏餅といって、柏の葉に餅を包んで祝うことはどこでも一緒だろう。 昔は「善夫(ぜんぶ)」を「かしわで」といって、歌にも「旅にしあれば椎の葉に盛る」ともあり、食物を木の葉に盛った事もあるのを、今となっては、5日の柏餅だけがその名残をと…

新博士と新華族

新しい華族や博士ができるごとに、「またか...」といって眉をひそめる人が多い。これは他人の出世をねたむ心から生じる言葉であって、まことにあさましい。 私はむしろ、新華族、新博士がますます多く、ドンドコ増えていかんものかと思っている。だけども、…

孝行息子の歌

岩手の孝行息子のナニガシが、母をリヤカーに乗せて、自ら引いて200里の道を東京まで上り、東京見物を母にさせたそうな。 このことが新聞に美談として紹介されていた。 たらちねの母の車をとりひかひ千里も行かん岩手の子あはれ 草枕(くさまくら)旅行くき…

病床の31文字

頑張って筆を執って... 佐保神(さほがみ)の別れかなしも来ん春にふたゝび逢はんわれならなくに いちはつの花咲きいでゝ我目には今年ばかりの春行かんとす 病む我をなぐさめがほに開きたる牡丹の花を見れば悲しも 世の中は常なきものと我愛(め)づる山吹の…

ヤマ師流養生法

ある人曰く...。 勲位や官名といった肩書を振り回して「なんちゃら養生法」なんていう杜撰な説をなして、世の中の人々を毒する行為は医学界の罪人といわなければならない。 世にはヤマ師流の医者も多いけれども、ただ金儲けのためだけにやっていて、その方法…

召波の句

『宝船』第1巻第2号の黒柳召波(しょうは)句集の解説文を詠んで思ったことを一つ二つ...。 紙子(かみこ)きて嫁が手利(てきき)をほゝゑみぬ 「老情がよく表れている」という評だが、私に言わせると月並に近いように思える。 反椀(そりわん)は家にふり…