Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧

俳句に見る地方色

『日本』に寄せられる俳句を見ると、地方ごとに俳句の調や、その他もろもろに多少なりとも特色がある。なので、同じ地方同士の人間は、万事面白いほどよく似たものがいる。 同一の俳句、あるいはよく似た俳句が同地方の二人の人物から、ほぼ同時に届くことが…

雑誌の表紙のはなし

ここのところ、雑誌の表紙を模様入りの色刷りにして、紙も輸入物を使うことがはやっている。体裁としては一つ進歩したといえよう。 雑誌『目不酔草(めざましぐさ)』の表紙模様は中村不折(ふせつ)がデザインを手がけた。面白い。ただし、何でもかんでも梅…

元義と名歌人

赤城格堂が収録した元義の短歌は、200首あまり、長歌は10首あまりある。このほかは不明である。 元義の筆跡を見ると、和様ではなく、むしろ唐様である。努力して身に着けたものというよりは、ただ単に無造作に書きつけたようで、文字の大小も均一で几帳面で…

元義エピソード

元義が岡山を去ったのは、人を斬ったためとも、不満があったためともいわれている。 元義は片足が不自由なため、夏でも片足には足袋を履いていた。そのため『沖津の片足袋』とあだ名されていた。 元義には妻がなく、時には婦女子に対して狂態を演じることが…

元義の年齢

羽生(はにゅう)某の記すところによると、元義は岡山藩中老池田勘解由かげゆの臣しん平尾新兵衛長治ながはるの子であり、壮年になってから沖津氏の厄介人(やっかいにん)、つまり家の子となり、沖津新吉直義(退去の際元義と改める)と名のり、また源猫彦…

元義のちょっと変わった歌

さて、今まで列挙したように元義の歌は大体こんな感じである。元義は終始万葉を学ぼうとしたが故に、その格調が伝統的かつ崇高であり、みじんも俗気の無い上に、平淡で変化に乏しいようにも思える。 だけども、時には気分がハイになったのか、異様な歌を詠む…

国学者・元義

元義は大丈夫として、日本男児として、そして国学者として 自らを任じており、詠歌のようなものは趣味の領域である。 古学に対する彼の学説は、大いに傾聴に値するものに違いないが、今日において遺稿のような十分な資料が残っていないのがまことに残念であ…

ますらをの歌

元義の感情の激しさは、時として狂態を演じることがないではないが、もともと彼は、堅固な信仰と超絶な見識の上に立って、自分の主義を守るために生き抜いた。だから決して、「恋の奴隷」となって朽ち果てたのではない。 なので、彼の歌には「吾妹子」に次い…

ワギモコ先生②

元義吾妹子(わぎもこ)の歌 遊于下原石上(いそのかみ)ふりにし妹が園の梅見れどもあかず妹が園の梅 正月晦日皆人の得がてにすちふ君を得て吾(わが)率寝(いぬ)る夜は人な来(きた)りそ 自玉島至下原途中矢かたをうち出て見れば梅の花咲有(さける)山…

ワギモコ先生

元義の歌には「妹(いも)」や「吾妹子(わぎもこ)」といった単語がかなり多く登場する。そのため「吾妹子先生」などというあだ名で呼ばれたりもした。 おもうに元義は情熱家で、婦女子に対する愛を詠んだものが多く、彼が事実以外のものを歌にすることがな…

元義の歌②

送大西景枝 真金(まがね)吹く吉備の海に、朝なぎに来依(きよ)る深海松(ふかみる)、夕なぎに来依る○みる、深みるのよせて来し君、○みるのよせて来し君、いかなれや国へかへらす、ちゝのみの父を思へか、いとこやの妹(いも)を思へか、剣(つるぎ)太刀…

元義の歌

児島備三郎大人(うし)の詩の心を 吾大君(おおきみ)ものなおもほし大君の御楯とならん我なけなくに 失題 大君の御門(みかど)国守(くにもり)まなり坂月面白しあれ独り行く (御門、国守、まなり坂、はすべて地名) 高島の神島山を見に来れば磯まの浦に…

万葉の心③

元義の歌は純粋なる万葉調である。そのため『古今集』以降の歌のように、理屈や装飾といった余計なものは見られない。 また、事実、実景に無いものは詠むことがない。だから、その歌は真摯にして古雅。少しも『古今集』以降のテクニカルで煌びやかな風潮に染…

万葉の心②

天下の歌人がこぞって古今調を学ぶ。元義笑って顧みぬ。 天下の歌人がこぞって新古今調を崇拝する。元義笑って顧みぬ。 しかし、元義独りが万葉を宗とする。天下の歌人は笑って顧みぬ。 このようにして、元義の名はその万葉調の歌とともに、当時は衆愚の嘲笑…

万葉の心

徳川時代のありとあらゆる歌人を一堂に集めて、「昔より伝えられている幾数百もの歌集の中で、善い歌を最も多く集めている集は、一体何か?」と質問したとする。その時に「それは『万葉集』だ」と答える者は賀茂真淵をはじめとして3,4人くらいいるだろう。そ…

関羽の秘密

毎朝包帯を取り換える時、多少の痛みがあるのが嫌でならんので、かならず新聞か雑誌か何かを読んで痛みを紛らわしている。 痛みの激しい時は、新聞をにらんでいるけれど何を読んどるのか全くワカランといったことがある。けれども、新聞のほうがおもしろい時…

俳句寄稿に相成候諸君へ申上候

『日本』へ俳句を寄せてくださっている方々へ申し上げます。筆硯ますますご清適の結果として、小生の枕もとに玉稿の山を築き、この冬も約1万句に達しましたこと、誠にご出精の次第とお喜びいたしております。 ところで、玉稿を拝読いたしましたところ、御句…

憲法12年に思う

朝目覚めると一面の銀世界で、雪は止んだけれども空はまだ曇っている。私も遅れてはならん、と高等中学のグラウンドに急いだら、もうすでに人々が集まり、生徒たちはそこここに群れていた。思い思いの大旗小旗を翻し、「祝・憲法発布」「帝国万歳」などと書い…

ややこしい『海岸寺』

十返舎一九の『<ruby><rb>金草鞋</rb><rp>(</rp><rt>かねのわらじ</rt><rp>)</rp></ruby>』という絵草子が24冊ほどある。これは江戸、大阪、京都の三都をはじめ、60余州の名所霊蹟巡覧記とでもいうべき仕組みなのだが、作者の知らないところは結構テキトーに描かれたいたりなんかして、実際とはだいぶ違うど…

土地の美味

最近私のささやかなる食事に華を添えた、諸国の名物ものを紹介。 大阪の天王寺カブ、函館の赤カブ、秋田のハタハタ、土佐のブンタンその他柑橘類、越後の鮭の粕漬、足柄のトウキビ餅、五十鈴川のハゼ、山形ののし梅、青森のリンゴ羊羹、越中の干し柿、伊予の…

記事の選別

雑誌を読むとき、読む部分と読まない部分がある。 読まないところは、小説、新体詩、歌、俳句、文学の批評、政治上の議論など。 読むところは、コラム、歴史、地理、人物批評、農業工業商業などの一部である。 新体詩は4つほど読み、詩は圏点の多いものを1首…

黄塔を偲ぶ

我が国の我が国の辞書は『言海』の著述以後段々と進んできているけれど、まだ完全とは言いきれない。 私の友人である竹村黄塔(こうとう)(竹村鍛(きたう))は、いつでもここに着目し、一生の大事業として一大辞書を作ろうというのが、彼の唯一の野望であっ…

節分の厄払い

節分にはさらに色んな事をやる。私が昔住んでいた家の近くに、禅宗の寺があったが、「星を祭る」とのことで、ローソクをいっぱい灯して大般若の転読などをやっていた。 本堂の軒下には、板を掲げて白星、黒星、半黒星などを画いて、各々の来年の運勢を示して…

「宝船」の時期

節分の夜に宝船の絵を枕に敷いて、初夢を占うことは、私の故郷だけではなく、関西ではポピュラーなことだろう。東京では1月2日の夜に宝船を売って回っているが、コレはなんだか納得いかない。 しかし、これも実は古い風俗らしく、『滑稽太平記』というモノに…

節分の風習

節分に豆をまくのは、今でもやっている人はいるけれど、大方は廃れた。ましてやその他の風習などは、言うまでもないだろう。私の故郷である伊予で過ごした幼少時代に、見覚えたものは、随分と面白いものであった。 節分の日になると、男女の物乞いたちが縁起…

近況

・伊藤圭助没する。90余歳。英国女王崩ずる。80余歳。李鴻章逝く。70余歳。 ・星亨訴えられ、鳩山和夫訴えられ、島田三郎訴えられる。 ・朝汐負け、荒岩負け、源氏山負ける。 ・神田の歳の市にに死傷あり。大阪の十日夷に死傷あり。大学第二医院の火事に死傷あり…

馬琴の苦労

筆を執るのが不自由になったら、だれか代わりに書いてくれないかな、と常々思っていたところであるが、この前、馬琴が『八犬伝』のある巻に付記した文章を読んだ。 最初に自身が失明していること、原稿書くのが大変であることを述べて、 …文渓堂及(また)貸…

新しいものを作るには

『大鏡』の花山天皇が絵をお描きになるところの描写で …さは走り車の輪には薄墨にぬらせ給ひて大さのほどやなどしるしには墨をにほはせ給へりし。げにかくこそかくべかりけれ。あまりに走る車はいつかは黒さのほどやは見え侍る。また筍の皮を男のおよびごと…