Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

正岡子規って、結構おもろい人

 そもそもなんでこんなブログを始めたか、というと、どんなにオススメしても、だれも『墨汁一滴』を読んでくれなかったからです。

 あ、今回の記事もわたくし「新部良仁」として書いてます。「Nobo-San」は2023年1月16日から登場しますので、もうちょっとお待ちください。

 話に戻ります。私がこの本に出合ったのは高校卒業間近のころ。なんとなく立ち寄った池袋のデカいブックオフの、ナゼか足を踏み入れた岩波現代文庫のコーナーで、どーゆーワケか手に取って、あろうことか立ち読みまでして、「こりゃ、読みづらいけど、内容は面白いぞ」と思い購入してしまいました。

 

 本の内容を詳細に書くと、今後の記事と干渉しそうなので避けますが、この本には子規の病床生活が生き生きと(死にかけてるヒトに対して使う表現じゃないな)描かれております。たとえば、「いま、コレにハマってます」「今日はコレに対してブチギレます」といった感じで、病人の割にはエネルギッシュだったり、「マジ辛い」「全身痛くて死にそう」「ってか死にたい」と、やっぱり病人だったり。

 ただの病床記なら、似たような内容でマンネリ化してきそうなものですが、さすがは子規。動けぬ我が身を抜け出して紙面の上を縦横無尽に駆け回り、ある日は論じ、ある日は怒り、ある日はやらかし、そして後日謝ったりする。

 

 こんなおもろい本を、なんで誰も読まないのか。

 

 それは、文体が古くてとっつきにくいからでしょう。

 だったら、内容は原則いじらずに、漢字や名詞、言い回しを読みやすいものに変えてあげれば、きっともっと読む人が増えるだろう、との考えから実験的に始めてみました。

 

 ただ、最後に書かせていただくと、私は正岡子規がいったい何をしてエライ人なのか、具体的なことはほとんど知りません。

 私は、子規という人物以上に「墨汁一滴」という作品に対してリスペクトしているのです。