去年の夏ごろ、ある雑誌に短歌のことを論じて、鉄幹(与謝野鉄幹)と子規を併記し、どっちも同じ趣味趣向である、などと書いてあった。
ちょっとまて、どこが一緒なんだ。全然違うだろうが。
言ってしまえば、鉄幹が是なら子規は非、子規が是なら鉄幹が非、というように、両者の短歌は全く違った標準のものである。
だからして、鉄幹に「歌壇のライバルとして『明星』に載っている短歌を批評してやろうじゃないか」と手紙を送って約束した。それによって、鉄幹と子規を同一視しとるヤツらに、ちょっとひとこと言わせていただきたかったのだ。
それからというもの、病状がマシな日が少なく、筆を執ることもない数か月が過ぎ、未だにこの約束が果たせていない。これが誤解を生んで、「鉄幹と子規を同一視したらならん訳は、どっちかが優れていて、どっちかが劣っているからだ」と世間的に広まってしまった。
だけども、これをきっかけに、他の事件ともつなげて、一時的に歌界の問題となってあーだこーだと騒がれた事が、世間の人々がちょっとだけ、歌界に関心を持つきっかけにもなった。
新年以降、ますます病状が悪化して、余計に筆を執れなくなって辛い。ついに約束を果たせなくなってしまったのが悔しい。
もしも墨汁の一滴程度の短い文章でも、批評の機会があれば、それに越したことはないのだが。
1901/01/25
優劣の差じゃなくて、オモムキの差なんだ、という主張なんだけど、歌界全体を見たら、なんかバチバチしてるほうが結果的に注目されちゃった、という状況。
今の芸能界でもありますね。キャラ的に仲が悪い設定で盛り上げる感じ。
このお話は意図せずともそういう感じになっちゃったよ、ってなことでしょう。
このあと、子規さんは鉄幹にバトルを挑むどころか、別なターゲットを攻撃し始めますが、もうちょっと先のお話。