一本の扇子で自在に人を笑わせるような落語家の楽屋は、実はめちゃくちゃ厳格で窮屈なものだと聞いた。
芳菲山人(西松二郎)の滑稽家ぶりときたら、狂歌、狂文、諧謔などなど、尽きることなく作りまくることで有名である。が、その人柄はというと、極めてマジメで、いつでも何かに対して怒ってるんじゃないか、と思われるほどである。
我々の俳句仲間で、俳句にユーモアを練りこんで成功したのが漱石だ。彼はマジメをマジメで煮詰めたような性格で、学校において生徒を指導するにも厳格で、ルール違反は決して許さない。
紫影(藤井乙男)の文章や句も、常に滑稽味あふれるものだ。このヒトもやたらにマジメで、大口を開けて笑うことすら、あまり見られない。
これらを思うに、真の滑稽とは、マジメな性格であって初めて生み出せるんではなかろうか。
昔の蜀山人や十返舎一九はいったいどんな人柄だったのか。俳句界第一の滑稽家として世に知られる、小林一茶は、絶対にマジメくさったヒトだったろう。
1901/01/30