Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

節分の厄払い

 節分にはさらに色んな事をやる。私が昔住んでいた家の近くに、禅宗の寺があったが、「星を祭る」とのことで、ローソクをいっぱい灯して大般若の転読などをやっていた。
 本堂の軒下には、板を掲げて白星、黒星、半黒星などを画いて、各々の来年の運勢を示していた。私もいつもこれを見に来ていた。

 一人の幼い友人が「ぼくは白星だ!」と喜んでいると、他のひとりが「いやいや、白星は良すぎて、かえって悪いんだ。半黒星こそ、一番いい星なんだ」と言った。私もそれを聞いて、半黒がいいものの様に思っていたこともあった。


 またこの夜、四辻に古いフンドシ、焙烙ほうろく、火吹き竹などを捨てる風習もあった。フンドシを捨てるのは、厄年の男女がその厄を脱ぎ落とす、という意味があるという。しかし、古いフンドシを手に持ったり袂に入れて持ってきたのでは効果がない。腰に巻いたままやってきて、懐から手を入れて解き落とすものである、などとも聞く。
 焙烙を捨てるのは頭痛を直すまじない、火吹き竹は瘧のまじないだという。

 

 四十二の古ふんどしや厄落し

 

(1901/02/06)

 

 


 

 いくら厄落としだからって、パンツ脱いで捨てて、ノーパンで帰るってのはちょっと抵抗があるような...。

 いや、容姿端麗なるご婦人が頬を赤らめながら、なるべく人目につかぬように下着無しで歩いている姿を盗み見るのは、かなり眼福なものとも思うけども、まあ、そういったことはあり得ないわけで。

 っていうか、その時代は女性は下着付けないのが一般的だから、そういった恥じらい的なものもなかったんでしょうね。

 もっと言うと、湯治場なんかも混浴だし。

 

 

新部良仁