Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

黄塔を偲ぶ

 我が国の我が国の辞書は言海の著述以後段々と進んできているけれど、まだ完全とは言いきれない。


 私の友人である竹村黄塔こうとう(竹村きたう)は、いつでもここに着目し、一生の大事業として一大辞書を作ろうというのが、彼の唯一の野望であった。
 その辞書というのは、一般的な単語のほかに、様々な業界の専門用語なんかも網羅し、さらに各語の歴史、つまりその起源や意義の変遷なんかも記そうとしたものであった。


 しかし、資金がなくてはこういった大事業を成し遂げることはできない。そこで彼は辞書編纂をさせてもらえるというので、一時的に冨山房という出版社に入ったのだが、教科書を作る事務に忙殺されて、なかなか思い通りにはならなかった。


 ついに転職を決意し、女子高等師範学校の教官となったのは昨年春のことだった。しかし、9月には肺炎を患い、赤十字社病院に入院。療養の甲斐もなく、今年2月1日に息を引き取った。


 社会の為に、あの素晴らしき辞書が完成せずに終わったことを悲しもうか。20年来の親交が急に閉ざされてしまったことを悲しもうか。私より先に彼が死んでしまうとは、彼も私も、他の誰もが思ってもいなかったことだ。


 私の恩師である、河東静渓先生には5人の子供がいた。黄塔はその第3子である。そこから養子に出て竹村姓を継いだ。第4子は可全、第5子は碧梧桐である。
 また、黄塔には3人の子供がいるが、みな、まだ幼い。

 

(1901/02/07)