Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

俳句寄稿に相成候諸君へ申上候


 『日本』へ俳句を寄せてくださっている方々へ申し上げます。筆硯ますますご清適の結果として、小生の枕もとに玉稿の山を築き、この冬も約1万句に達しましたこと、誠にご出精の次第とお喜びいたしております。


 ところで、玉稿を拝読いたしましたところ、御句の多い割に佳句が少ない事は小生の遺憾とするところでございまして、『日本』の俳句欄も投稿作品だけでは足りなくなる事も、少なからずございます。
 採用の比例を申し上げますと、10分の1くらいの割合を占めますのが、赤木格堂田中寒楼といった諸氏の作品でございます。
 その他は100分の1にも満たないようなものもございます。もっとも多作と言える八重桜氏は、毎季数千句を寄せられ、1題の句数で大方20句から、4,50句に及びます。だけれども、その句を見るに、ムヤミに多くを貪るように、平凡で陳腐な句や、パクリの句もゴチャマゼで排列なさるのには、少々いとわしさを感じてございます。


 また、一題百句などと、多数寄せられる方もいらっしゃいます。「一題百句」は一番初めの修行としてはとても良い事でございますが、その中から佳句を抜き出す事はかなり困難であり、ましてやその題がコタツ、頭巾、火鉢、フトン…といった類でございましては、読むまでもなくその句が陳腐である事が分るのでございます。そのため、このような場合には初めの10句ほどを読んで、その中に佳句がなければ、全部ダメなものとして、ボツに致しております。


 小生も追々衰弱いたしておりますので、優れたものを20句選ぶために1,000句以上に目を通さなければならないとあっては、到底病気の脳が堪えられるものではございません。


 何卒、ご自身でご選択の上、ご寄稿くださりますようよろしくお願いいたします。

 

(1901/02/12)

 

 

 


 

 子規先生ブチギレ回です。丁寧すぎる文体がコワい。ちなみにタイトルは、この文章のモトネタの書き出しです。

「ハイクキコウニアイナリソーローショクンヘモーシアゲソーロー」 

 といった感じの非常に読みづらい文章が延々と続きます。

 駄句に目を通して選考しているうちに、体の調子も悪くなり、ストレスが頂点に達して、「おめーら、ええかげんにせーよ」となったのが、今回。

 

 そういえば、鼠骨と碧梧桐が東京に出て、学校辞めて、毎日プラプラして、小説書いて、それを自信満々に子規に送り付けたときも、このような恐ろしい文体でお手紙が返ってきたそうです。