朝目覚めると一面の銀世界で、雪は止んだけれども空はまだ曇っている。私も遅れてはならん、と高等中学のグラウンドに急いだら、もうすでに人々が集まり、生徒たちはそこここに群れていた。思い思いの大旗小旗を翻し、「祝・憲法発布」「帝国万歳」などと書いた中に、紅白の吹き流しを北風になびかせているのが、やけに目立って、勇ましくもみえた。
二重橋の外で
その付録になっていた「日本国憲法」の表紙に、三種の神器が描かれていたのは、今思うと幼稚ではあるが、当時はとても面白く感じた。
そのあと私は、館に行って、仮店や太神楽などの催しで、興の尽きる暇もなく夜も更けて、泥の凍った道を踏みしめて帰ったのは12年前の2月11日。
12年の月日は短いものではなく、『日本』はいよいよ健やかに育ち、私は空しくも寝たきりになってしまった。あの時に生まれた憲法は、果たしてしっかりとした足取りで歩んでいけるのだろうか。
(1901/02/11)
この『日本』とは陸羯南を主筆(であってたっけ?)とした新聞のことで、明治憲法が発布されたその日に、第1号が世に出されました。
で、この『日本』紙上で、子規センセイは俳句の投稿欄の選別だの批評だのをやっていたのですが、これがまたメンドクサイ作業なわけでして...。
というような愚痴が、今後出てきます。
っていうか、『墨汁一滴』も、『日本』紙面に連載されてます。書き忘れとった。
<追記>
まことに惜しいことに、今年(2023年)東京で積雪したのは、2月10日でした。もう1日ずれてたら奇跡的なシンクロだったのになあ。