2月28日、晴れ。朝6時半にちょっと具合の悪い中、眠い目をこすって起床。家の者が暖炉に火を入れる。
新聞を見ると、きのう帝国議会が停会を命じられたとの記事があった。
包帯を取り換えて、粥を2椀すする。
梅の俳句に目を通す。
今日は会席料理のもてなしをしてくれる、という約束があった。そこで、家の者に「スイセンを漬物の小桶に活けかえてくれ」と頼むと、「桶が無い」との答え。「だったら、スイセンと竹の掛物を外して、
伊藤左千夫、香取秀真、岡麓がやってきた。左千夫は大きな古釜を抱えてきて、茶をもてなしてくれるという。窯の蓋は近頃、秀真が鋳たもので、つまみの車形は左千夫がデザインした。
麓は
我見ても久しくなりぬすみの絵のきちの掛物
という狂歌を書いていた。書法がたしかであった。
左千夫が茶をたてた。私も菓子を一つ、薄茶を1椀いただいた。
5時ごろに料理が出た。麓が主人役を務める。献立は以下の通り。
- 味噌汁は
三州 味噌の煮漉 、実は嫁菜 。二椀お代わりする。 -
膾 は鯉の甘酢。この酢の加減は伝授されたものだそうな。私は全部食べ、摺りワサビだけが残っていたのだが、「茶の料理はすべて食べつくして、何も残してはいけない」という掟を思い出し、急にコマッタことになり、苦肉の策で味噌汁の中にかき混ぜて飲んだ。大爆笑であった。 -
平 は小鯛の骨抜きが4尾。ウド、花菜 (ナタネのつぼみ。カリフラワーのようなもの)、山椒の芽、小鳥の叩き肉。 -
肴 はカレイを焼いて、煮たようなもの。頭、ヒレ、尾は取り除けてある。 -
口取 は玉子焼き、サザエ(たぶん)、栗、あんず、青い柑橘を煮たもの。 - 香の物は奈良漬けの大根。
ごはんと味噌汁はいくらでもお代わりでき、酒は燗をつけながら平と同時に出て、酒とごはんとを代わるがわるにちびちびとやる。
また太鼓飯(栗ご飯のことか)を次に盛って、おのおの椀で食べる。次の肴を待つときには、椀に一口分のご飯を残しておくものだそうな。私は結局、料理を半分ほど残してしまい、食べきることができなかった。
食事が終わって、
明かりをともし、茶菓雑談。左千夫が、「その釜に1首題してくれ」という。そこで私は、「湯が沸いたときの音はどんな感じか?」と聞くと「釜がでかい割には音は小さい。遠くの波音にも似ている」と答えた。
…と、いうことで。
題釜
氷解けて水のながるゝ音すなり 子規
(1901/03/02)