Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

「宝引」ってなんだ?

  宝引ほうびきというものが、俳句の正月の題にある。実はこれが一体何なのかを知らず、「まあ、『福引』的なものでしょ」と思っていたのだが、この前虹原こうげん(山形県大石田俳人)の説明を聞いて、ナゾが解けた。

 虹原の郷里である羽前では、「ホッピキ」と呼んで、今でも正月に行われる遊びだという。その様子はというと、男女10人くらい(男3、女7くらいの比率になることが多く、使いの者も混じることがある)がある家に集まって、食べ物や金銭をかけて(善良なる家では食物を賭けるが、たいていの家庭ではカネを賭けるらしい)、クジを引いてこれを取る。

 クジは10人であれば4,5尺くらいの縄を10本用意し、「親」となった者1人がその縄を取って、その中の1本に環、または二文銭、あるいはクルミの殻などをを結び付ける。これを「胴ふぐり」という。そして、これが当たりクジの目印である。

 親は10本の縄の片端を自分の片手にまとめて持って、もう一端を前に投げ出す。

 元禄の句に

 

 宝引のしだれ柳や君が袖    失名

 

 とあるのは、親が縄を持ちながら胴ふぐりを見せないように、とその手を袖の中に引っ込めているところを描いているのだろう。

 こうして投げ出された縄を各々が1本ずつ引いて、そのうち胴ふぐりを引き当てたものが、その場の賞品を手にする。そして勝ったものが交代で次の親となる決まりなので、胴ふぐりが親の手に残っている場合は、これを「親返り」という。

 

保昌やすまさが力引くなり胴ふぐり     其角きかく


宝引や力ぢや取れぬ巴どの     雨青

 

時宗が腕の強さよ胴ふぐり     沾峩せんが

 

 などという句は、争って縄を引っ張るところを詠んでいる様で、また、

 

宝引やさあと伏見の登り船     山隣

 

という句は、各々が縄を引くところを、伏見の引船の綱を引く様子に見立てたのだろう。

 

宝引に夜を寐ぬ顔の朧おぼろかな     李由りゆう


宝引の花ならば昼をつぼみかな     遊客

 

などという句を見ると、宝引は主に夜に行われる遊びのようである。

 そのほか、宝引の句を以下に。

 

 

宝引に蝸牛かぎゅうの角をたゝくなり    其角


投げ出すやおのれ引き得し胴ふぐり   太祇たいぎ


宝引や和君わぎみ裸にして見せん     嘯山しょうざん


宝引や今度は阿子に参らせん    之房


宝引の宵は過ぎつゝ逢はぬ恋    几董きとう

 

  結神
宝引やどれが結んであらうやら   李流

 

 

(1901/03/18)