新しい華族や博士ができるごとに、「またか...」といって眉をひそめる人が多い。これは他人の出世をねたむ心から生じる言葉であって、まことにあさましい。
私はむしろ、新華族、新博士がますます多く、ドンドコ増えていかんものかと思っている。だけども、これもまた嫉妬心の裏返しなのかもしれない。
博士ってのも、お盃が回ってくるみたいに巡ってくるようなものとしたら、俗世間で自分よりも上のランクの人たちの数を数えて、順番が来るのを待っていればいい。三宅雪嶺先生なども、今頃になってお盃を回されては「辞するほどの価値もない」とでも言わなければならない。
しかし、新博士には博士号をあまりありがたがらない人もタマにいるけれども、新華族になるほどのヒトが華族をありがたがらない事ってのはない。
宮内省と文部省との違いか、実利と虚名の差か、それとも学識がないのと学識があるのとの違いか。
(1901/05/06)