Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

病床の1日

 5月10日、昨夜の睡眠は不安定。いつも通り。

 朝5時に家人を呼び起こして、雨戸をあけさせる。大雨。病室の寒暖計は華氏62度(セ氏16.6度)。昨日は朝から引き続いて来客があり、それが夜寝る前まで続いたため、「墨汁一滴」を書くことができなかった。なので、今朝書こうと思ったけど疲れてできなかった。

 

 新聞も長くは読めず、やがて眠気を催す。おもうに、昨夜は背中の痛みが強く、一晩中体温が下がりきらなかったのが、今朝になって段々と冷めてきたのだろう。熱が下がれば痛みも減じてくる。

 

 二度寝する。目を覚ませば9時半ごろ。やや気分が良い。ホトトギスの歌を10首読んで、明日の俳句欄に乗せる俳句とともに封じて、使いに神田へもっていかせる。

 

 11時半ごろ、昼飯を食う。カツオの刺身、あまりうまくない。半人前を喰う。牛肉のタタキの生肉、少し喰う。これもうまくない。歯痛は常にはおこらないけれど、物を噛めば傷みだす。粥2杯、牛乳1合、紅茶同量、菓子パン5,6個、ミカン5個。

 

 神田から使いの者が返ってくる。命じておいた鮭の缶詰を持って帰る。これはなるべく歯に障らないように、と選んだものである。

 

 『週報』応募のボタンの句の残りに目を通す。

 病床の畳に、麻でもってタンスの引手のようなものを2つ3つ、所々にこしらえさせる。畳が硬くて針が通らない、と女どもが不満タラタラであった。

 これは、この麻の輪を私の手の掴まえ所にして、寝返りするのに使えるんではないか、との思い付きである。この頃は体の痛みが強く、寝返りをするんでもいつも人の手を借りるようになってしまったので、傍に人がいないときのためにこういった窮策を発明したのだが、できてみれば意外と便利そうである。

 

 包帯の取り換えにかかる。昨日は来客のために取り換えなかったのだが、膿がかなり流れてきて服を汚してしまった。背中から腰にかけての痛みが今日は強く、軽く拭われるのだって耐え難くて、絶えず「アイタッ」と叫ぶ。でもって泣くのもいつものこと。

 

 浣腸をしたけどお通じがない。これも昨日の分を怠ったので、固まってしまったのだろう。にっちもさっちもいかず情けなくなる。再び浣腸。今度は通じる。痛いけれどもうれしい。この2つの仕事に1時間を費やす。終わったら3時。

 

 着物を2枚とも着替える。下はモンペ、上は綿入。シャツは変えず。

 三島神社祭礼の費用を取りに来る。1匹やる。

 包帯を変え終わった後、体も手も冷えて、耐え難くなる。いそいで燈炉をたき、火鉢を寄せ、カイロを入れ...などをする。

 包帯取り換えの間、ずっと右を向いていたので背中の一部が痛みだし、もはや右向きではいられない。なので、仰向けのままで牛乳1合、紅茶ほぼ同量、菓子パン数個を喰う。家人がマルメロの缶詰を開けたから、といって1切れ持ってくる。

 

 豆腐屋が蓑笠姿で庭の木戸から入ってくる。

 午後4時半、体温を測る。38度6分。それでも両手はまだ冷たい。この頃は38度程度の発熱でも苦しむのに、6分とあっては、後々やばいと思ったので、急いでこの稿を書く。さしあたり書くこともないので、今日の日記をデタラメに書く。

 仰向けのままで書き終わったのが6時。先ほどから発熱してもうすでに苦しい息。今夜の地獄を思うと嫌になる。

 

 雨は今朝から降りしきっていてやまない。庭のボタンは皆散って、セイヨウアオイの赤、オダマキの花の紫が残る。

 

(1901/05/12)