Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

諸方より手紙被下候諸氏へ

 諸方よりお手紙をくださいました皆様へ、この場を借りて一度にお返事を申し上げます。

 私の病気について種々様々なご注意くださり、「『人胆丸』は万病に効くので中国で作られた『人胆丸』を一つやろうか」とか、「ナニガシのカミサマを信じれば病気平癒マチガイ無し」とか、「この病に効く素晴らしい灸点を心得た鍼灸がいる、幸いなことにその鍼灸医が田舎から上京してきているので、来てもらってはどうか」とか、「ナントカという医師は普通の医師ではない、なのでその療法もフツーじゃないとある将軍はこれを深く信じている、あなたもこの人の診察させてみてはどうか」とか、「ダレソレという医師の養生法はヤマ師のような養生法ではない、私の家族の一人は現に、この養生法で10年来の難病が嘘のように治った、あなたも試してみてはどうか」とか、中には見ず知らずの方々も多くわざわざお便りを寄せられて、とかくのご配慮に預かることができ、本当に有難き次第とそぞろ感涙に沈んでおります。

 

 しかしながら、遠く離れた土地の皆様方はもちろん、在京の諸氏でさえも私の容態をご存じない方が多いため、かえって種々のご心配をお掛けしてしまっているかと存じます。私の病気は単に不治の病であるのみならず、もうすでに末期に差し掛かっており、もはやいかなる名法も、いかなる妙薬も施すよりはなく、神様のお力でさえも及び難いものであると存じております。

 

 私の今日の容態は非常に複雑で、私自身ですら往々にして誤解してしまうため、とても他者には説明いたしがたいのですが、まず病気の種類が3,4種ございまして、発熱は毎日、立つことや座ることができないのはもちろん、この頃では頭を少し起こすことも困難になりまして、また疼痛のために寝返りが自由にならず、蒲団の上に釘づけにされたありさまでございます。疼痛の激しいときは、右を向いても左を向いても仰向けになっても痛みが走り、まるで阿鼻叫喚の地獄もここまでは...と思われるほどのことでございます。

 さらに、容態には変化が極めて多く、今日明日どころか、今朝今夕のこともわからないというありさまで、この頃はずっといい具合、などというようなことはござらず、そのため人に容態を聞かれたときに返事に困ってしまいます。「この頃は良い方です」というのは普通に答える挨拶ですが、何の意味もない言葉でございます。

 一時的な容態はこのように変化が多いけれども、1年を通してみた場合は、去年は一昨年よりも悪く、今年は去年よりも悪いという事が歴々として事実に表れております。

 

 このような次第で、薬も灸もその他の療法も、せっかくご教授くださいましたが、私には施しがたき事とご承知下さりたく存じます。

 ただ私の唯一の療法は「うまいものを喰う」でございます。この「うまいもの」というのは私の多年の経験と一時の状況とによって定まるもので、他人の口出しを許さぬものでございます。珍しいものは何であってもうまいけれど、刺身は毎日食べてもうまくはございません。くだもの、菓子、茶といった不消化なものもうまいものでございます。朝飯は食わなくても、昼飯はうまいものでございます。夕飯は熱が低ければうまく、熱が高くても大概はいただきます。

 

 容態のあらましはこのようなものでございます。

 

(1901/04/20)

 

 


 

 またまた子規先生の怒りのお手紙です。

 

 文中に登場する「人胆丸」ですが、文字通り人の胆(内臓)を煎って作った生薬です。江戸時代には首切り役人のような、死刑執行人が副業として、斬った後の罪人の死体から、生薬を作って販売するようなケースもあったとか。 

 

 それにしても、今も昔もやっぱり、スパムメール的な心霊療法の押し売りって、あるんですね。

 

 

新部良仁