Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

試験嫌い③

 明治24年の学年試験が始まったが、だんだん頭脳が悪くなって耐えられなくなり、ついに試験を残して6月の末に帰郷した。9月にはまた東京に戻って試験を受けなければならないので、準備をしようと思っても、書生が群がっているやかましい所では出来そうもないから、今度は地元から特別養成費を出してもらって大宮の公園に出かけた。「万松楼」宿屋に行ってここに泊まってみたが、松林の中にあって静かな涼しい所で意外といい。それにうまいものが食えるし、ちょうど萩の盛りというのだから愉快で愉快でたまらない。

 松林を徘徊したり、野道をブラついたり、くたびれるとかえって来てしきりに発句を考える。試験の準備などは手も付けないありさまだ。この愉快を独り占めするのは惜しいことだと思って、手紙で竹村黄塔を呼んだ。黄塔も来て、1,2泊して帰った。それから夏目漱石も呼んだ。漱石も来て、1,2泊して、私も一緒に帰京した。大宮にいたのが10日くらいで、試験の準備は少しもできなかったが、頭の保養にはなった非常に効果があった。

 

 しかし、この時の試験も誤魔化して済んだ。

 

 この年の暮れに、私は駒込に一軒家を借りて、一人で住んでいた。極めて閑静なところで、勉強には適している。なんだが学科の勉強じゃなくて俳句と小説の勉強になってしまった。

 それで試験があると、2日前くらいに準備にかかるので、その時は机の周りにある俳書でもなんでも、キレイに片づけてしまう。そうして机の上には試験に必要なノートだけが置いてある。そこに静かに座って見てみると、普段は乱雑に乱雑を重ねてゴチャついていた机が清潔になっているので、なんとなく心地が良い。心地が良くてウキウキすると、なんだか俳句がノコノコと浮かんでくる。ノートを開いて1枚も読まないうちに17字が1句できた。何に書こうか、と思ってもそこらには句帳も半紙も出していないから、とりあえずランプのカサに書きつけた。また1句できた。また1句。あまりの面白さに試験なんかうっちゃって、とうとうランプのカサに書きまくった。これが「燈火十二ヶ月」といって、「〇〇十二ヶ月」というのはここからハマリだしたのだ。

 

 こういうありさまで、試験だから俳句をやめて準備に取り掛かろう、と思うと、俳句がしきりに浮かんでくるので、試験があるといつでも俳句が沢山できる、という事になった。これほど俳魔に取り憑かれたらもう助かる見込みはない。

 

 明治25年の学年試験には落第した。リース先生の歴史でオチたんだろうと推測した。そりゃ落第するわな。私は少しも歴史の講義を聞きにいかない。聞きに行ってもドイツ人の英語なんて少しもわからん。オマケに私は歴史を少しも知らん。その上に試験にはノート以外のことが出たんだから、落第しないわけがない。

 これっきり、私は学校をやめてしまった。これが試験の仕納めで、落第の仕納めであった。

 

 私は今でも時々学校の夢を見る。それがいつでも試験で苦しめられる夢だ。

 

(1901/06/16)

 


 

 今度は悪友たちも巻き込んで、特別養成費で遊びまくってます。なんだかとんでもない話。っていうか、フツーに大学生じゃん。今とやってることは変わりません。時代は回ります。

 

 

新部良仁