Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

試験嫌い①

 『日本人』に「試験」という話題があったので、おもいがけず「試験」という極めて不快な事件を思い出した。

 

 私は昔から、学校はそれほど嫌いではなかったが、「試験」というイヤーなモノがあるために、ついには「学校」という字を見るのも、もうイヤな感じがするまでになってしまった。

 

 私が大学予備門の試験を受けたのは明治17年の9月であったと思う。このとき私は、共立学校(今の開成中学)の第2級で、まだ受験をするほどの学力がなく、特に英語力が足らなかったのだが、慣れも必要だ、ってんで「試験受けようじゃんか」ってな同級生が結構いたのもあって、ダメもとでなんとなーく受けてみた。

 用意なんてのはカケラもしない。なんだけど、課目によっては案外イケるものもあった。だが、英語は別だ。こりゃ困った。

 活版刷りの問題用紙が配られたので、恐る恐るそれを取って見てみると、5問ほどある英文のなかで、私が読めるものはほとんど無い。第一、知らん単語が多いからして、考えようもコジツケようもない。

 この時私の同級生はみんな、近くの席に並んで座っていたが(これは始めッから「気脈を通じる」約束があったからだ)、私の隣の方から難しい単語の訳を教えてくれるので、それで少しは自信の持てるような気がしてイイカゲンに答えておいた。

 その問題で、判らない単語があるので困っていると、隣の男はそれを幇間ほうかんだと教えてくれた。もっとも隣のヤツも英語が苦手なので、2,3人隣のヤツから順々に伝えてきたのだ。だけど、どー考えても幇間ってのは、その文章の意味がワケワカメになるので、この訳は疑わしかったが、自分でも知らない単語だから別に仕方がないので幇間と訳しておいた。

 

 …今になって思うとそれは「法官」だったんだろう。それを伝言ゲームで「ホーカン」と言ったのが「幇間」となっちまったんで、「法官」と「幇間」を間違えたとあってはズッコケである。

 

 そのあと、合否発表の日がやってきて、さすがに予備門(一ツ橋外)まで行ってみるほどの勇気もなかったが、同級の男が「ぜひ行こう!」と言うんでいってみると、意外や意外、ナゼか合格していた。

 っていうか逆に、私たちに英語を教えてくれていたヒトが落第して、気の毒でたまらんかった。試験を受けた同級生は5,6人いたのだが、受かったのは私と菊池仙胡(謙二郎)の2人だけだった。この時は、試験って屁みてえなモンだと思った。

 

 ってなワケで、大半は人の手を借りて入学してみると、英語力がないのでめちゃくちゃ大変だった。それもそのはず、共立学校では私はミチミチと高橋(是清)センセイパーレーの『万国史を教えられていたくらいであった。

 で、明治17年の夏休みの間は本郷町の新文学舎とかいう所に英語を習いに行った。教科書はユニオン読本の第4版で、教えるのは坪内(雄蔵)センセイであった。センセイの講義は落語家の話のようで面白いので、聞くときは夢中で聞いている。そのかわり、私たちのような初心者には、英語学習の助けには全くならなかった(これは『書生気質』が出版される1年前のことだ)。

 

 とにかく、予備門に入学できたんだから勉強しちゃろうってんで、英語だけは少し勉強した。もっとも、私の言う「勉強」とは、月1回くらいのペースで徹夜してやっちゃうくらいで、毎日の予習なんてのは一切やらない。じゃあ学校から帰ったら何しとるか、ってえと、友達と談笑するか、春水しゅんすい人情本でも読んでいた。

 

 それでもたまには良心に咎められて勉強する。その方法は、英単語を一つ一つ覚えるのが一番重要なので、細切れの小さい紙に一つずつ単語を書いて、それを繰り返し見ては暗記するまでやる。だが、月1回くらいの徹夜じゃとても学校で毎日やる学習に追いつかない。

 あるとき何かの試験の時、私の隣にいた人は、答案を英文で書いていた。もちろん英語で書かなくてもいいものを、ソイツは自分で勝手に英語でスラスラと書いていたのでビックリした。この様子では私の英語力ときたらほかの学生とどんだけの差があるのかわかったもんじゃない、といよいよ心細くなった。

 ...このヒトはこの後間もなく「美妙斎」として世に名乗って出た。

 

 しかし、私が最も困ったのは、英語ではなくて数学の授業であった。このときの教員は隈本(有尚)センセイで、数学の時間は「英語しか」使わんという規則であった。スウガクの説明をエーゴでやることは、格別難しいことではない。だけど私にはそれが非常に難しい。

 つまり、数学と英語という2つの敵を一気に引き受けたからたまらない。とうとう進級試験で、幾何の点が足りずに落第した。

 

(1901/06/14)

 

 


 

 今回から始まりました、「子規先生と試験」シリーズ。なんだか恨みつらみが募っているのか、やたらと長文です。このエネルギーは、蕪村や元義を誉めるよきや、俳句界/短歌界を憂う時や、落合氏をバカにするときに匹敵します。

 っていうか、子規先生も結構やらかしております。ですが、その弟子の碧梧桐や虚子といった面々も、東京の学校に行って調子乗って、ハメ外して、子規先生から激おこのお手紙もらったりしてます。

 この師にしてこの弟子あり、ってなことでしょうか。

 

 

新部良仁