Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

「~顔」という表現

 加賀大聖寺だいしょうじの雑誌『虫籠』の第3巻第2号が出た。裏画の「初午はつうま」は道三の筆によるものなので、とてもうまくできている。ただ、蕪村の句が書いてあるのだが、あまりバランスのいい配置ではない。

 この雑誌の中の「重箱楊枝」と題するコーナーに

 

 俳諧に何々顔といふ語は、さかん に蕪村や太祇たいぎに用ゐられた、そこで子規君も多分この二人の新造語であらうとまで言はれたが、これは少し言ひすごしである。元禄二年ばん其角きかく十七条に、附句つけくくの例として
   宿札に仮名づけしたるとはれ顔
とある、恐らくこの辺からの思ひつきであらう。

 

 とかいてあった。私はこんなことを言ったかどうかは忘れたけれども、もし言ったとしてあら、それはマチガイであった。「~顔」という言葉は、俳諧から生まれた言葉ではなく、古くは源氏物語などにもあり、「空も見知り顔に...」という一文を挙げて前年ホトトギスのQ&Aの欄に書いたこともある。なので、連歌時代の発句にも、

 

 又や鳴かん聞かず顔せば時鳥ほととぎす

 

などがある。なお、俳諧時代に入っても、元禄より前に

 

 寺に寐てまことまこと顔なる月見かな     芭蕉ばしょう

 

 苗代なわしろやうれし顔にも鳴く蛙     許六きょりく


 はす踏みて物知り顔の蛙かな     卜柳

 

 ひな立て今日ぞ娘の亭主顔      硯角けんかく

 

 

 などもその一例である。ちなみに、太祇たいぎにも蕪村ぶそんにも几董きとうにも、「訪はれ顔」という句があるのは、其角の附句から思いついたものである。

 

 

(1901/03/24)