Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

元義のちょっと変わった歌

 

 さて、今まで列挙したように元義の歌は大体こんな感じである。元義は終始万葉を学ぼうとしたが故に、その格調が伝統的かつ崇高であり、みじんも俗気の無い上に、平淡で変化に乏しいようにも思える。

 だけども、時には気分がハイになったのか、異様な歌を詠むこともあった。

 以下、その例。



  高階謙満宅宴飲
天照皇御神あまてらすすめらみかみも酒に酔ひて吐き散らすをば許したまひき

  述懐
おお牟遅神むちかみみことは袋ひをけの命は牛かひましき

  失題
足引あしびきの山中治左じさける太刀たち神代かみよもきかずあはれ長太刀

五番町石橋の上でわが○○をたぐさにとりし我妹子わぎもこあはれ

弥兵衛やひょうえつかのつるぎ遂に抜きて富子とみこりてふたきだとなす

弥兵衛がこやせるかばねうじたかれ見る我さへにたぐりすらしも

ひとり知るとまをさばかむろぎのすくなひこなにつらくはれんか

弓削破只ゆげはただ名二社在雞列なにこそありけれ弓削人八ゆげびとは田乎婆雖作たをばつくれど弓八不削ゆみはけずらず

 

 

 これらの歌は、何か事件があったときに急ごしらえで作ったようで、言葉遣いや並べ方などにあまり気を配らなかったのか、歌としての出来は褒められた方ではない様に思えるが、とにかく天真爛漫なところに元義のひととなりが生き生きと垣間見れるようだ。

 

(1901/02/23)

 


 

 さて、以前から、ところどころ「〇」の記号があることにお気づきでしょう。私も最初に原文を詠んだときはなんだか判らなかった。抜粋した資料に虫食いがあったのか、などと思ったりもした。

 だけども、そんなわけはないだろう。だとすると、これは「伏字」なんではないか。

 ってなわけで、手当たり次第に調べると、この中の1句が見つかりました。

 「五番町石橋の上で...」の句なんですが、「我妹子」が「たぐさにと」ったのは、なんと「麻羅」。書き下すと「マラ」。よーするに「おちんぽ」なんですね。

 ってなると、「五番町の石橋の上で私のちんちんをナデナデしたハニーちゃんかわいい」的な感じになるわけで、こりゃ明治の新聞では伏字になるわな (今もか?)。

 ってなことを考えると、今までの句も、掛詞だの韻だのに詳しい人は、きっと全部わかるんでしょうね。うらやましい。

 

新部良仁