さて、今まで列挙したように元義の歌は大体こんな感じである。元義は終始万葉を学ぼうとしたが故に、その格調が伝統的かつ崇高であり、みじんも俗気の無い上に、平淡で変化に乏しいようにも思える。
だけども、時には気分がハイになったのか、異様な歌を詠むこともあった。
以下、その例。
高階謙満宅宴飲
述懐
失題
五番町石橋の上で
弥兵衛がこやせる
吾
これらの歌は、何か事件があったときに急ごしらえで作ったようで、言葉遣いや並べ方などにあまり気を配らなかったのか、歌としての出来は褒められた方ではない様に思えるが、とにかく天真爛漫なところに元義のひととなりが生き生きと垣間見れるようだ。
(1901/02/23)
さて、以前から、ところどころ「〇」の記号があることにお気づきでしょう。私も最初に原文を詠んだときはなんだか判らなかった。抜粋した資料に虫食いがあったのか、などと思ったりもした。
だけども、そんなわけはないだろう。だとすると、これは「伏字」なんではないか。
ってなわけで、手当たり次第に調べると、この中の1句が見つかりました。
「五番町石橋の上で...」の句なんですが、「
ってなると、「五番町の石橋の上で私のちんちんをナデナデしたハニーちゃんかわいい」的な感じになるわけで、こりゃ明治の新聞では伏字になるわな (今もか?)。
ってなことを考えると、今までの句も、掛詞だの韻だのに詳しい人は、きっと全部わかるんでしょうね。うらやましい。