Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

想像と実際

 名前しか聞いたことのない人物の容姿を、あんなかな、こんなかな、とそうぞするのは誰もがやることだろう。で、実際に会ってみてみると、たいていは意外な顔かたちをしていて驚くことになる。

 

 最近、永井破笛の日記を見ると、次のような一節があった。

 

 東京鳴球めいきゅう氏より郵送せられし子規先生の写真及び蕪村忌の写真が届きしは十日の晩なり。余は初めて子規先生の写真を見て実に驚きたり。多年病魔と戦つてこの大業を成したるの勇気は凛乎りんことして眉宇びうの間に現はれ居れどもその枯燥こそうの態は余をして無遠慮にいはしむれば全くきたる羅漢らかんなり。

 『日本』紙上連日の俳句和歌時に文章如何にしてこの人より出づるかを疑ふまでに余は深き感に撃たれたり。
 蕪村忌写真中余の面識ある者は鳴球氏一人のみ。前面の虚子きょし氏はもつと勿体ぶつて居るかと思ひしに一向無造作なる風采なり。鳴雪めいせつ翁は大老人にあらずして還暦には今一ト昔もありさに思はる。独り洋装したる碧梧桐へきごとう氏にして眼鏡の裏に黒眸こくぼうを輝かせり。他の諸氏の皆年若なるには一驚を喫したり。

 

 そういえばこの前、ある雑誌に「竹の里人が禿頭を振り立てて」などと書いた投書があった。「竹の里人」を6,70歳の老人だと思ったのだろうか。

 もしもこういった人たちの想像通りに、いろんな人物の容貌を描かせたら、もっと面白いだろう。

 

 

(1901/03/16)

 


 

 いろんな人物名が出てきましたが、大半は以前に登場したね。初登場、だと思われる(記憶があいまいです)ヒトだけ、簡単に紹介をします。

 

永井破笛…俳人・永井耕雨の甥で、同じく俳人。郡山に日本派の俳句結社「群邦吟社」を結成。

 

鳴球…岩田鳴球。俳人三井物産勤務。ちなみにこの後、大正7年に宗教団体の「大本」に入信。は機関誌の編集に携わる。

 

竹の里人…子規先生の別の雅号。35歳で没しているため、同然ながら老人ではない。

 

 

 それにしても、川東碧梧桐って、やっぱりチャラい感じがしますよね。

 

 

新部良仁