Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

『明星』の落合氏の歌⑤

 

 むらさきの文筥ふばこの紐のかた〳〵をわがのとかへて結びやらばいかに

 

 「わがのと」とは「わが紐」ということなんだろうけど、「我の紐」というところが充分に理解できない。「わが文筥」の紐か、「わが羽織」の紐か、「わがヒョータン」の紐か、でもって、その紐というのもか、もしも文筥と同じならば、同じ濃さか、同じ古さか...。

 そういったことも聞きたくないわけじゃないけれど、作者の意はそういった形を表すことではなくて、「結ぶ」というところにあるようで、この文筥は恋人の手紙を封じてきたもの、という前提で見るのであれば、野暮天なツッコミは切り上げて、ただ我々のように色気の無い野郎には、このセクシャルな風味をあまりよく味わえていない、ということを白状しよう。

 一つ気になったところは、結ばれた「かたかたの紐」はいいとして、そのために他人の「かたかたの紐」が解かれてしまうのは縁起が悪いんじゃないか。占い師のセンセイかなんかに聞いてみたら、「この縁談は始めは善いが、終わりは悲惨だ。キツネが川を渡って尾を濡らす、というかたちである...」とかなんとか言われなければいいが、と思う。

 

(1901/04/01)