君が母はやがてわれにも母なるよ
男女の仲なのか、義兄弟の交じりなのか、どっちともつかないけれど、イマドキ「義兄弟」ってのも無いだろうから、ここは男女の仲であることは疑いがない。
ただ、男女の仲、としたところで、この歌は男から女に向けたものか、女から男に向けたものかわからない。昔であれば優しい女の言葉、とらえるのが普通だが、今の世の中、女よりも男のほうに優しいニヤケみてえなのが多いので、これも男のセリフだとみる方がいいだろう。
「御手とる」とは、日本流に手を取って傍から手助けをする、という意味だろうか、それとも西洋風に「握手する」という意味だろうか。前者ならいいけれど、後者であった場合、「母」なる人物の腕が(老人であるだけに)抜けはしないかと心配になってしまう。
あと、もうひとつヘンだと思うのは、「母」なる人物の腕を取るのに、その許可を「母」本人ではなく、その娘である恋人に請うたところである。だけど、「手を取る」という主軸の部分がここまで不明瞭な感じなので、ここを詳しく追及しても仕方がない。
この身もし女なりせでわがせことたのみてましを男らしき君
「せで」は「せば」の誤植だろう。
「女にて見たてまつらまし」など『源氏物語』にあるので、そこから着想を得たのか。だけど、それは男の容姿が美しいさまを、ほかの男がこのように褒めたのである。
で、この歌はというと、男が男らしいさまを、そばの男が「君はなかなかに男らしくて頼もしいヤツだ、僕が女だったら、もう一目で君に惚れちょるよ」などというんだから、なんだか殺風景で一切感情を移入する余地がない。
『源氏物語』の方は、「女のような男」を他の男が評するため、至極ゴモットモだと思うけれど、こっちの歌は「男の中の男」を他の男が評するので、なんだかヘンというか、イヤーな気味の悪い気持ちになる。
結局、この歌においては「男らしき」という形容詞を使ったのが悪いんであって、こういった形容詞はなくてもいい。あるいはもっとほかの言葉があったんじゃないか。
(1901/04/02)