Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

トンチンカンなパンフレット

 枕もとに、誰かが置き忘れた尾形光琳おがたこうりん伝」と書かれた一葉摺りのものがある。3,40行の短文で、末尾に明治34年4月文学博士重野安繹しげのやすつぐ撰と書かれている。

 おもうに、最近光琳ら4家の展覧会があったそうなので、そのパンフレットの類だろうか。それにしても、

 

 

 ソノ画ク所花卉かき翎毛れいもう山水人物ことごと金銀泥きんぎんでいヲ用ヒテ設色スルニ穠艶じょうえん妍媚けんびナラザルハナク而モ用筆ようひつ簡淡かんたんニシテ一種ノ神韻しんいんアリ

 

 と、あまりにもテキトーなことを書いてある。「用筆簡淡」の4文字では光琳の絵を形容することはできないし、ニュアンスとしてはむしろ光琳の絵の感じを一切表現してはいない。

 何はともあれ、光琳の絵の一番の特色は、ほかの絵描きが輪郭的な画法を用いるのに対して、没骨もっこ(輪郭線を用いらずに色の濃淡で形を表現する西洋的手法)であることだ。さて、そうなったときに、「用筆簡淡」ってのは没骨画に対する評価になるのかねえ? たぶん、みんな首をかしげることだろう。撰者も多分そんなことを考えてすらいないで、筆の先でゴマカシたに決まっとる。

 

 さらに、

 

 マタ茶道ヲ千宗佐せんそうさニ受ケテ漆器描金びょうきんニ妙ヲ得硯箱すずりばこ茶器ノ製作ニ巧ミナリ

 

 ってのも意味わからない。この分を読むと、光琳茶を学んだから蒔絵がうまくなったように思えてしまう。論語』を習ったら数学が上達した、みたいなことで、キツネをウマに乗せるような奇論法である。もしも「茶道」と「硯箱茶器ノ製作ニ巧ミ」が関係のない事実であるとしたら、何で並べて書いたんだ?

 そのほかにもなんだかアヤシゲな記述が多い。撰者夢中の作なのであろう。なんにしても、今の世の中に光琳の名を広めようというのだから、画を知らない漢文書きに頼んで解説を書かせる、なんてのはバカげたことだ。

 

(1901/04/23)