「自分の俳句が月並調に落ちてはいないかと自分で疑っているのだけれども、どうしていいのかわからない」と聞かれた。
答えるとすれば...
月並調に落ちようとしているのであれば、そのまま月並調に落ちるがいいだろう。月並調というものをよく知らないから、月並調を恐れてしまうのだ。
「月並調」というものは別に監獄のようなオッカナイ物ではない。一度その中に入ってみて内部を研究したのちにシャバに出てくれば、もう2度とそこに落ちることも無いだろう。
月並調を知らずに、むやみに月並調を恐れているような奴に限って、いつの間にか月並調に陥ってしまうものである。試しに成田
(1901/04/22)
ここで登場する「月並」という言葉ですが、これは子規先生が作った俳句用語です。
もともと「月並」というのは、月例で行われる句会を指すものでした。東京に出てきた若かりし頃の子規先生は、なんだか有名な俳人の句会に参加するのですが、毎月同じメンバーで開催される集会で生み出される俳句は、なんだか似たり寄ったりの感じで、突出した物はない。よーするに、ツマラナイ。
で、こういう似たり寄ったりの、ウケ狙いの、クサいかんじの句や歌を「月並で作られたっぽいよね」と揶揄したことから「月並調」という言葉が生まれ、そして現在使われているような「月並」という言葉の由来となりました。
新部良仁