私は閻魔大王の構えているテーブルの前に立って、
「お願いでござます」
と言うと、閻魔は耳をつんざく様な声で
「何だ」
と答えた。
そこで私は、根岸の病人のナニガシであるが、もうすぐ御庁からのお迎えが来るだろうと待っていても、一向に来ないのはどうしたものか、来るならいつ来るのであろうか、それを聞きに来たのだ、と訳を話して丁寧に頼んだ。
すると閻魔はイヤそうな顔もせずにすぐに明治34年と35年の帳面を調べたが、そんな名前は見当たらん、という事で、エンマ先生少しヤッキになって数珠玉のような汗を流して調べた結果、その名前は既に明治30年の5月に帳消しになっていることが分かった。それからその時の迎えを担当したのが5号の青鬼であるという事も書いてあったので、ソイツを呼んで聞いてみると、その時迎えに行ったのは自分であるが、根岸の道は曲がりくねっていて、とうとう家が判らないで引き返してきたのだ、という答えだった。
次に再度の迎えに行ったという11号の赤鬼を呼び出してきいてみると、なるほど、その時行ったことは行ったけど、「鶯横丁」という立て札のところまで来ると、道幅が狭すぎて火の車が通れないから引き返した、という答えである。
これを聞いた閻魔様は、はなはだ当惑顔に見えたので、横から地蔵様が
「それでは事のついでにもう10年ばかり寿命を延ばしてやりなさい、この地蔵の顔に免じて...」
などとしゃべりだされた。私はあわてて
「メッソウなことをおっしゃらないでください。病気のない10年の延命なら誰だって嫌がろうはずがありません。この頃のように痛み通されては、1日でも早くお迎えが来るのを待っているばかりでございます。このうえ10年も苦しめられてはやるせがございません」
閻魔は私に同情を寄せたようで、
「それならば今夜すぐに迎えをやろう」
と言われたのでちょっと驚いた。
「今夜はあまりにも早いですな」
「だったら明日の晩か」
「そんな意地の悪いことは言わずに、いつともなく突然来てもらいたいものですね」
閻魔はせせら笑いして
「よろしい、それでは突然やるとしよう。しかし突然という中には、今夜も含まれているという事は承知してもらいたい」
「閻魔様、そんなに脅かしちゃあ困りますよ」(ここんところ五代目尾上菊五郎っぽく)
「こいつ、なかなかワガママっ子じゃわい」(ここんところ初代市川左団次っぽく)
――拍子木 幕
(1901/05/21)