与謝蕪村は、天明3年12月24日に亡くなった。ということは、節季にして境目の、紛らわしい時期にこの世を去ったわけだ。
で、この日を太陽暦に換算すると、1784年1月16日の金曜日に当たる。つまり、年が明けてすぐ、に没したことになる。
1901/01/20
なんでこういうことをわざわざ書いたのか、よくわからんけど、季節を重要視する俳人なので、めっちゃリスペクトしてた蕪村の没年月日は、彼にとっては重要事項だったんでしょう。
ちなみに蕪村の辞世の句は
しら梅に 明る夜ばかりと なりにけり
というもので、やっぱり新春の句。なのに、旧暦では12月という冬の時期に当たるので、ちょっと調べてみたんではないでしょうか。
…しらんけど。
新部良仁