誤りやすい字を以下列挙。
- 「盡」は「書」「畫」よりも、横棒が1本少ない。「聿」のように書くのは誤りである。行書で「聿」のように書くこともあるが、その場合には4つの点を打たない。
- 「逸」「寬」の字には点がついている。これを知らない人が多い。
- 「學」「覺」といった「かく」の字と、「與」「譽」といった「よ」の字とは、上半分が違う。なので、これらを混同している者、例えば「學」の上を「與」のように書く者が、雑誌の表題なんかでも見受けられる。
- 「內」「兩」はともに、「入」と間違えて、「人」を書くことが多い。
- 「喬」の「夭」を「天」と間違えたり、「」、「𨳝」の「壬」を「王」と間違えることが多い。
- 「傘」は人冠に「人」4つに「十」である。なので、十字の上にも中にも横の棒を引いてしまうことがあるのは、古い癖なのだろうか。
- 「吉」の「士」を「土」とするのは誤りである。
- 「舍」は人冠に「舌」である。だが、人冠に「土」と「口」で書いたような字が、古い
法帖 でも見られる。 - 「臼」の下の所は「一」を引く。「兒」も同じ。だけども、この「一」を分割して2画にしてしまうのは、書きやすさからだろうか。
- 「鼠」の上部分は「臼」である。なのだが、この頃「巤」の字を書く人もいる。これは、「蠟」「獵」「臘」といった字の
旁 で、「ろふ」「れふ」の音である。 - 「易」は「日」に「勿」である。「賜」「惕」など皆同じ。だけど、「陽」「揚」「腸」「場」「楊」「湯」など
陽韻 に属するものの旁は「易」の真ん中に横棒を1本加える。 - 「賴」「獺」「瀨」「懶」などの旁は「負」である。「頁」ではない。
- 「ちり」は「塵」である。
艸冠 をつけて「薼」の字を書く人がいる。これは植物の名前で(「よもぎ」という訓がある)、「ちり」の字ではない。これは、「塵」の草書体が艸冠のように見えるからか。 - 「解」は「角」に「刀」に「牛」である。「牛」を「井」に誤ることが多い。
漢字廃止論があるこの頃では、こういった細かなマチガイをいちいち指摘するのは、愚の骨頂だと笑う人もいるだろう。でも、1日として、漢字を使わない日は無いんだからして、漢字の誤用をできる限り少なくしようとするのはトーゼンじゃないの。
常用の文語から漢字をなくしてしまったとしても、漢字自体は永久に滅びるものではない。ただ、一つ言えることは、数十年来間違って覚えてきたものをすぐに改めることはとても難しいが、最初に教えられたときに、正しい字を習えれば、何の困難もない。
小学校の先生は、是が非でも正しい字を教えなさい!
(1901/03/04)
始まってしまいました。子規先生の漢字講座です。 正直、常用漢字じゃないからどーでもいいヤツとか、「そんなマチガイあります!?」っていう指摘があったりするんだけど、これは120年前のおハナシ。
識字率だったり、教育に関する体制が全国共通じゃなかったりで、結構字をフィーリングで覚えちゃってた人も多かったそうな。「コレってこんな感じでしょ」的な。
ちなみに、漢字廃止論というのは、識字率向上と、海外とのコミュニケーションの円滑化のために、平仮名や片仮名をベースに、新たな文章の表記方法を推進しよう、という考え。のちにも出てくるお話ですので、ここでは割愛。
で、私が一番言いたいことは、この企画って、旧字体とか異字体を拾ってくるのがエライ大変ってこと。しかも、ブラウザで見たら拡大しないとわからなかったり。
だもんで、もうやりたくないんだけども、次回もおんなじ企画です。でも、しばらくすると、「ザマアミロ」な記事が出ます。