Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

新しい日本語

 漢字廃止論ローマ字採用、または新字製造なんて言う途方もない議論は興味がない。私はもっと手近な必要性に応じて、至急新仮字しんかなの製造を望んでいる。

 

 その新仮字には2種類ある。ひとつは拗音や促音を1文字で表せるようなもので、例えば「茶」の字を「ちや」「チヤ」とは書かずに、1文字で書くようにするのだ。「しよ」(書)、「きよ」(虚)、「くわ」(花)、「しゆ」(朱)...なども同様である。

 促音はふつう「つ」の字を使って表すが、これには仮字を使わないでほかの記号を用いるようにしたいと思う。しかし「しゆ」、「ちゆ」などの拗音が音韻上では1音となるのと違って、促音は2音になるので、その記号は紙面上に書いたときに1文字分の面積を与えるのもよいだろう。

 

 もう一つは、外国語には存在し、日本語としては存在しない音を書き表せる新字である。

 これらの新字を作るのは極めて簡単で、ほとんど考えなくてもできるんではないかと思う。

 試しに考案してみると、「朱」の仮字は「し」と「ユ」または「ゆ」の2字を結び付けたようなものを少し変化させて用いる。「著」の仮字は「ち」と「ヨ」または「よ」を結び付けたようなものを少し変化させて用いる。このようにして他の字も作っていけば、新字とは言っても実際には旧字のバリエーションに過ぎず、新しく文字を学ぶ必要もないので、とても便利なんじゃないか。

 また、外国音のほうは、外国の原字をそのまま使うか、または多少変化させて用い、五母音の変化を示すためには速記法の記号を用いるか、または拗音の場合と同様に仮字をくっつけてもいいだろう。

 とにかくこの仕事は簡単かつ容易である。さらに、新仮字増補の注意は強制的に行わない限りは、誰一人として反対する者もないだろう。わたしは、2,30人の学者たちが集まって、試しに新仮字をつくり、これを世に広めてほしいと思っている。

 

 

(1901/03/11)

 

 


 

 漢字廃止論ってのは、漢字があるために識字率が下がる、といった「学びづらさ」という点と、印刷物を作る際に、膨大な量の活字を組まなければならないので、ジャーナリズムの速報性、書物による文化の発展が遅れがちになる、といった弊害が結構問題視されて、それならいっそ漢字なくしちゃおう、とする議論です。

 で、表意文字である漢字を、表音文字のひらがなに落とし込む際に、今では考えられない試行錯誤がありました。それが促音(「っ」のこと)や拗音(「ゃ」「ゅ」「ょ」などのこと)の表記法です。結局「小さい字を作る」ってシンプルな方法で解決したんですが、そこに至るまでの紆余曲折は面白い。みんな複雑なこと考えてたんですね。

 っていうか、「花」は「くわ」じゃなくて、「か」ですよね。

 

 

 あと子規先生、新しい字を学ぶ必要のない新字、ってんでひらがなベースで考えてたのに、外国語の表記法になったら「原字をそのまま使う」とか「速記法の記号を用いる」とか言ってますが、そこんところ理論が破綻してる気がするんですが…。

 

 

 

新部良仁