自分の著作を売って、原稿料をもらうことは全く悪いことではない。しかし、その作品を書いた理由が原稿料をもらうこと以外に何もない、といったことであれば、著者の心が腐っているはも言うまでもない。
近頃出版された
だけど、そもそも秋竹には、最初から俳書を編纂しようという志を持っていたのだろうか?
最近は俳句から離れている彼が、なぜ今になって急に俳句編纂を思い立ったのか?
この句集がどのようにして集められたかは、問題ではない。この書物を出版するにつき、秋竹がなぜ苦々しい序文を書いたかも、問題ではない。
私の邪推をここに明らかなするならば、秋竹は金儲けのためにこの編纂を思いついたに違いない。秋竹がもしも誠意をもって俳句の編纂に従事していたならば、どんな手段を使っていようとも、私はこれに賛成していただろう。だけども私は今回のことで、秋竹が腐敗したんじゃないか、という疑いを抱いた。
そうはいっても、私は個人として秋竹だけを攻撃したいんではない。今の新しく出る著作の十中八九が金目的に書かれている中で、具体例として秋竹を挙げたまでである。
(1901/03/10)