今日は病室の掃除だというので、昼飯後に病床を座敷のほうへ移された。この2,3日は右になっての仕事が過ぎたためか、ようやくマシになってきていた局部の痛みがまた少しヒドくなってきたので、座敷に移ってからは左に寝て、痛む部分をいたわっていた。
いつもガラス障子の部屋にいたので、たまには紙障子に松の影が映っているのを見るのも、趣が変わって、初めはなかなか面白かったが、だんだんと痛みがひどくなり、ついにはそれすらも目に入らないほどでチクチクと痛みだけを感じる。
いくら慣れてきたからとはいえ、痛いものは痛いので閉口していると、6歳になる隣家の女の子が書いたという絵を家人が持ってきて見せた。見ると、1尺ほどの洋紙の小切れに墨で描いてある。中央には支那風の城門(もちろん輪郭だけだが)を力強い線でまっすぐに書いて、
それから、城門の下には猫が寝ている。その上に「ネコ」と書いてある。輪郭だけだが、確かに猫とわかる。猫の右側には女が立っているのだが、お
見れば見るほどに実に面白い。城門に猫に少女という無意識の配合も面白いが、棟の上に鳥が1羽いるところは素晴らしく妙で、一番高いところで鳥がさえずり、一番低いところで猫が寝ている、という対比の意匠などは古今の名画といってもいい。
見ているうちに私もだんだんテンションが上がってきたので、すぐに朱筆を取って、まず城楼の左右に日の丸の旗を1本ずつ描いた。それから猫に赤い首玉を入れて鈴をつけて、女の襟と袖口と帯に赤い線を少し引いて、頭には房のついたカンザシを1本つけた。
それから左のほうの名前の下に、裸人形の形をなるべく子供らしく描いて、最後に小鳥の羽をチョイと赤くした。
さて、この合作の絵を遠ざけてみると、墨と朱とがよく調和している。うれしくてたまらない。
そこで、
(1901/03/14)
子規先生が少女の絵によって痛みを忘れる、というちょっとほっこりする話。最後にお菓子をあげるくだりで気づいたけど、この日は奇しくも「ホワイトデー」なんですね。まあ、当時はそんな文化は存在しなかったけど。
っていうか、子規先生ノリノリすぎません?