いろんな人の俳句を見ると、その中でも自分の頭脳をシボリにシボッて出したようなものは非常に少ない。多くの者は新聞雑誌に載っている他人の句を5文字だけ置き換えて、ナニクワヌ顔してほかの新聞雑誌に投書している。
一例を挙げよう。
〇〇〇〇〇裏の小山に上りけり
という12字があったとすると、最初の5文字にテキトーな季語を入れることで句にしている。「長き日の」「のどかさの」「霞む日の」「
あるいは、
という12字があれば、「梅の花」「糸柳」「糸桜」「春の雨」「夕涼み」「庭の雪」「
さらには、
広目屋の広告通る〇〇〇〇〇
という12字なら、「春日かな」「日永かな」「柳かな」「桜かな」「
こういう手抜きをするために、あらかじめ新聞雑誌の俳句を切り抜いておいて、いざ句作をするときに、それらを広げてあっちからこっちへと組み合わせて、10句でも100句でもたちどころにデッチ上げたのをそのまんま投書としてポストに入れる。
選者がもしもその作品がパクリであることを知らずに、1句でも2句でもこれを掲載してしまうと、投稿者は鬼の首を取ったかのように狂喜乱舞して、友人たちにどーだとばかりに誇示する。
このような模倣や剽窃をする時期は誰にだって一度はあるものだけれども、いつまでたってもこの泥棒的なレベルから抜け出せない人もいる。気の毒なことである。
(1901/03/13)
どうでもいい話なんだけど、誤変換がひどい。
「炉塞いで」と打った際には「魯夫妻で」と出た。これは予測のついたことだし、仲睦まじいようでほほえましい絵も浮かんできます。裏の山にピクニックでも行ったのでしょうか。
だけども「夕時雨」が「融資グレ」となったのはあまりオダヤカじゃないですね。なんだか経済ヤクザがからんだような事件性を感じます。
「春日かな」「日永かな」「柳かな」「桜かな」「小春かな」に関しては全部「加奈」という謎の人名にされてしまいました。どこぞのアイドルだ?
さて、本文中に出てくる「広目屋」ですが、これは街角でお店や事業の広告をする組織の名前で、江戸時代から始まった商売だそうです。チンドン屋みたいなものを想像していただくと、わかりやすいでしょう。