Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

川辺の思い出

 私の故郷では、だんだん暖かくなってくると「おなぐさみ」というイベントを行う。これは近郊に出て遊ぶことで、一家一族、ご近所さん、向こう三軒両隣、といったよく付き合いのある人たちが誘い合って、少ないときは3,4人、多いときは2,30人もゾロゾロと連れ立っていくのである。

 

 各自各家庭で弁当やその他の食べ物なんかを用意し、昼頃に前もって決めておいた場所に行って、陣取る。その場所というのは、たいていは川辺の芝生である。川があったら水を使うのに便利だからだ。それに、川辺にはちょうどいい空き地もあるし。

 

 で、そこに毛氈や毛布を敷いて、座り場所とする。敷物が足りなかったら、重箱を包んでいる風呂敷を広げて、そこに座る。石ころの上に座って尻が痛かったり、足の甲をツバナにつつかれたりするのも、それはそれで面白い。

 

 この場所を本陣としておいて、食事の時にはみんなここに集まって食べる。各々が持ち寄った弁当を広げて、分け合うので、誰の弁当でも自由に食べれる。茶は川の水を汲んで石のカマドにヤカンをかけて沸かし、食べ終わった重箱もまた、川水で洗ってしまう。大きな砂川で、水が清くて浅くて岸が低いときているから、とても重宝で、清潔で、それでいて危険がない。実にうまくできている。

 

 食事がすめば、サア鬼ごっこだ、と子供たちは頬っぺたのご飯粒もそのままに一度に立っていく。女子供はたいてい鬼ごっこか摘み草をする。

 

 それで、夕方まで遊んで、帰るのである。 

 

 私の親類がこぞって行くときは、いつもきまって30人以上で、子供がその大半を占めているから大変ににぎやかなものだ。

 一度先生に連れられて、詩会をこういう芝生で開いたこともあった。まことに閑静でよかった。しかし、男ばかりの詩会というのは異例であって、ふつうは女子供の遊びと決まっている。半日運動して、しかも清らかな空気を吸うのだから、年中家にこもっている女にはどれだけ愉快なことだろう。

 

 そこは、町の外の、だいたい半里くらいの距離がある、そこらの往来の人からは見えない場所である。

 

 歌舞伎座なんかに行って、悪い空気を吸って喜んでいる都会の人は、夢にも知らないことだろう。

 

(1901/04/10)