Nobo-Sanのボクジュー一滴

正岡子規『墨汁一滴』の超・現代語訳ブログ。やっぱり柿うまい。

『春夏秋冬』について①

『春夏秋冬』 序

 

 『春夏秋冬』は明治の俳句を集めて四季に分類し、更に四季の各題目よって編んだひとつの小冊子である。

 『春夏秋冬』は俳句の時代において『新俳句』に次ぐものである。『新俳句』は明治30年に上原三川さんせんの委託により、私が選抜したものであるが、明治31年3月、私は同書の始めに、

 

...(略)元禄でもなく、天明でもなく、文化でもなく、もとより天保の俗調でもない明治の特色は、次第に現れだしたようだ。...(略)しかもこの特色はある一部に起こって、だんだんと各地方に伝播しようとしている。こういった種類の句を『新俳句』に求めても、あまり意味がないだろう。『新俳句』は主として、模倣時代の句を集めたものではないと思っている。...(略)ただし、特色というものは日を追うごとにだんだん目立ってくる。この前集めたばかりの『新俳句』は刊行する今となっては、はすでにそのいくらかが幼稚なものになってしまったと感じている。刊行し終えた時には、果たしてどう感じられることだろうか...云々。

 

 などと書いた。で、『新俳句』刊行後『新俳句』を開いてみる度に、毎年前年より多くの幼稚と平凡と陳腐とを感じるようになり、今は『新俳句』の中で特に優れた句を求めようとしても、10分の1にも満たない。こうなってくると、また新たに俳句集を編纂する必要が出てくる。だけども、『新俳句』の中の俳句は、今日の俳句の基礎をなすものとして、参照すべきものである。

 『新俳句』編纂より、本日に至るまでわずか3,4年程度だけれども、その間における私個人、あるいは我々一同の俳句上の経験は、幾多の変化に富んでいる。しかも、一般の俳句会をまとめていってみれば、「蕪村調成功の時期」ともいうべきか。

 蕪村崇拝の声は、早くも明治28,9年ごろにはすでに盛んになっていたが、将来はどうなっていくのか、と聞かれたら、まったく予想がつかない。

 太祇、蕪村、召波、几董...といった面々を学んだ結果は、ただ単に新趣味を加えるだけではなく、言い回しが自在となり、複雑な物事をよく料理できるようになり、したがってこれまで捨てて見向きもしなかった人事を、好んで材料とするような変化を見せる。

 これは私がかつて唱えて回っていた「俳句は天然を詠ずるのに適していて、人事を詠ずるには適さない」という議論を事実上打破したものである。

 

 『春夏秋冬』は、最近3,4年の俳句界を代表した俳句集としようと思う。だけども俳句のスクラップブックから選ぼうとしたら、俳句が多すぎて紙数に限りがあり、どこから手を付けていいのかわからない。かろうじて選びうる物もまた、到底俳句界を代表する、と言い切れるものではない。

 だけどもし、『新俳句』を取ってこれと見比べたら、その違いは五十歩百歩どころの騒ぎではない。

 

 明治34年5月16日    獺祭書屋だっさいしょおく主人

 

 

(1901/05/18)

 

 


 

 最後の署名の「獺祭書屋主人」ですが、これは子規先生の持つ数々の通り名(自称)のうちの一つです。

 まず、「獺祭」という言葉ですが、訓読みにすると「(カワウソ)」の「祭り」となります。そーです、ぼのぼの」のポテ助くんです。

――ちがいます。

 カワウソが食事をするとき、獲った魚を並べて置く習性があるそうで、それを昔の中国の人が「まるで祭りのようだな...」ワケワカメな感想をもって表現した言葉です。

 で、昔の中国の有名な詩人が詩歌を作るときに、参考の書物をやたらといっぱい並べているところを、「おまえ、カワウソが祭りやってるみてぇだな」といわれた事をきっかけに、参考書を並べて詩や歌を作ることを「獺祭」と例えるようになったそうです。

 子規先生はそれを気取って、こんな通り名(自称)を思いついたのでしょう。

 

 

 

新部良仁