『近古名流手蹟』をみると、昔の人はみんな難しい手紙を書いたもので、今の人には大分読みにくいが、これは時代の変遷で自然とこうなったものであろう。
今の人の手紙でも、2、300年後に『古今名流手蹟』となって出た時には、その時の人は難しがって、よく読めないかもしれない。
それからもうひと時代後のことを想像してみて、明治100年ごろの名家の手紙が『古今名流手蹟』となって出たらどんなものであろうか。その手紙というものは、おそらくはカタカナ、ひらがな、ローマ字などのゴタゴタと混在したもので、とても今日の我々には読めないような書き方であろうと思われる。
(1901/05/26)
なんとなーく子規先生の言っていることが当たってる気がします。もっとも明治100年にあたるのは1968(昭和43)年ですが。
今の時代の文章って、カタカナに加えて、アルファベットの略語や数字や記号が多いこと多いこと。多分書いてる人でも、数日たったら字引なしでは読めないんじゃないか、ってくらいです。
一度この文明が滅びた後に、数千年後の未来人がメールデータを復元したとして、やっぱり解読できないでしょう。
新部良仁